上野にある「東叡山寛永寺」は、
寛永8年、二代将軍徳川秀忠から寄進された現在の地に、天海僧正によって開山されました。
当時、京都の鬼門を守るのが比叡山延暦寺でしたので、それを真似て江戸を守る“東の比叡山”として建てられました。
そして寛永寺の観音堂として建立されたのが清水観音堂です。
「清水観音堂」は、その名のとおり、京都・清水寺を模したものです。
清水寺の義乗院春海上人から、同寺安置の千手観世音菩薩像が天海大僧正に奉納されたことにちなみ、清水寺と同じ舞台も造られました。
これは比叡山の畔に琵琶湖があるように、東叡山の畔に不忍池があり、それを清水観音堂から眺められるようにとの事。
何もかも徹底してますね(笑)
また、広重の浮世絵で有名な名所江戸百景。
その中に”上野清水堂不忍ノ池”と”上野山内月のまつ”というものがあり、その中に描かれた『月の松』
松の枝を丸くし月をかたどった、当時大変評判だった松は、上野のシンボル的存在でした。
明治初期の台風の被害で無くなってしまってから150年余り。
この度、浮世絵にも描かれていた江戸の風景を復活させるため2012年に復元されたのです。
その松から望む参道の先には弁天堂。
なんとも言えない景色です。
そして、その先にはビル… (笑)
現代の姿がそこにありました。
不忍池にある「弁天堂」
こちらも、寛永寺を造るにあたって建てられたものです。
天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々あった聖天(しょうてん)が祀られた小さな島を竹生島に見立て、さらに水谷伊勢守(みずのやいせのかみ)勝隆(かつたか)公と相談して、
島を大きく造成することで竹生島の「宝厳寺(ほうごんじ)」に見立てたお堂を建立したのです。
辯天堂にお祀りされるご本尊さまは「辯才天」です。
音楽と芸能の守り神として広く信仰され、また「辯財天」とも書くことから、金運上昇といったご利益があります。
琵琶を持ったお姿で知られていますが、辯天堂の辯天さまは八本の腕があり、手に手に煩悩を破壊する道具を意味する武器をお持ちになっている「八臂辯才天(はっぴべんざいてん)」さまです。
弁天堂が一番美しく見えるのは、やはり夏のこの時期ではないでしょうか?
不忍池一面に咲き乱れる、蓮の花。
ここからみる弁天堂は、まさに極楽浄土の景色なんでしょう。
その花の命は4日だけと言われる蓮。
儚いからこそ美しいその姿。
ぜひ、朝早めにお出かけされるといいと思います。
こちらの詳しい様子はこちら!
https://play-life.jp/plans/22928
今回は、上野恩賜公園にある清水観音堂と弁天堂を紹介しました。
広重も愛したその場所を、歴史に想いを馳せながら、歩いてみるのはいかがでしょうか?