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日本の縁の深い百済(韓国)にタイムトラベル!世界遺産・百済歴史遺跡を訪れる!【王宮里遺跡、弥勒寺址】

全羅北道の益山(イクサン)にある百済歴史遺跡を訪れました。紀元前18世紀から660年まで続いた百済の都があった日本とも縁のある場所です。

2015年に、周辺の8つの百済関連の遺跡とともにユネスコの世界遺産に登録されています。日本語案内員が常駐し、日本語のパンフレットもあります。

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王宮里遺跡

百済の武王の王宮があった場所です。韓国の古代の王宮としては初めて外郭の塀が見つかった貴重な遺跡。まだ見つかったばかりで、韓国の歴史の教科書にも内容が記されていないのだとか。

住所:全羅北道益山市王宮面宮城路666
電話:063‐859‐4631
住所:9:00~18:00
休館:月曜、1月1日

王宮里遺跡

もともと公園として利用されていたこの場所には、昔からの石塔がひとつだけ建っていました。遠足でおとずれた子供たちがよじ登ったり、落書きをされたりしながらこの場所にありました。大昔に何かがここにあったのだろうということは、地元でも噂されていたそうです。発掘調査によって驚くべき事実が判明しました。

王宮里遺跡

今まで韓国の歴史書に書かれていなかった百済の王宮がこの地にあったことがわかったのです。唐と連合した新羅滅ぼされた百済の人々は、その後日本に渡って多くの技術が伝えられました。日本の文化の礎がここにあったと思うと、ロマンが広がりますね。

王が政事を行っていた正殿を始めとした14の建物、庭園の遺跡、陶磁器工房、大型便所など遺跡が発掘され、現在も発掘作業が続いています。日本の遺跡の情報も参考にしながら、当時のトイレの様子が復元されていました。

王宮里遺跡

ひとつだけの残されていた五重の石塔を、修復のために解体すると、なんと中から経文や仏像などを発見! いままで身近にあった石塔に、こんなお宝が隠されていたなんてびっくりですね。

たくさんの瓦も出土されており、博物館の中では百済時代の瓦に実際にさわることもできます。さて今度は、弥勒寺に移動します。

弥勒寺址

王宮里遺跡から6㎞ほど離れた場所には、百済最大の寺院である弥勒寺があります。新羅の善花王女と結婚して王になった武王がこの地を訪れたとき、池の中から弥勒三尊が現れ、ここに弥勒寺を創建することになったと伝わります。

住所:全羅北道 益山市 金馬面 弥勒寺址路362
電話:063‐859‐3873
住所:9:00~18:00
休館:月曜、1月1日

弥勒寺址

南に正門があり、中央には木造建築物があったとされ、日本法隆寺などの建物を参考に模型として復元されています。一説には90mあったともいわれ、事実であれば法隆寺(31.5m)の三倍近い高さになります。その塔の東西に高さ48mの九重の石塔があり、西の石塔は一部現存していました。

旗を掲げた竿を支える支柱「幢竿支柱」もひとつだけ現存しています。花崗岩を磨いたもので高さは4m。90mの間隔をあけて東西に2基建てられていたいいます。

弥勒寺址

西の石塔は、日本統治時代に、崩れそうになっているのを日本軍がセメントで固めました。その頃の様子の石塔も模型があります。

かつて韓国では、醜く屈辱的な遺構と見なされていましたが、セメントのおかげで遺跡がのこり、当時の日本軍が残した写真等の資料で復元できたことから、現在は180度評価が変わっているそうです。

その他、5100点の遺物が出土しています。2009年に西の石塔解体の途中に、金の舎利壺と舎利奉迎記、ガラス玉も発見されました。

弥勒寺址

現在の弥勒寺の様子。東の石塔が復元されており、幢竿支柱が立っています。そして現存していた西の石塔も、現在修復作業が行われています。

だだっ広い場所に、いくつかの遺構が点在しているだけですが、心の目で見ると、在りし日の百済にタイムスリップできるかもしれません。

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ライター紹介
編集者・ライター。1977年7月1日生まれ。大学時代にバックパッカーとして旅する。出版社に勤務し、ガイドブックなどを制作。現在、編集プロダクションJETならびに出版社まる出版に所属し、児童書を中心に多岐にわたる本を制作する。著書に『タオルの絆』(コープ出版)、『うごかすえほん はたらくくるまとまちをつくろう!』(まる出版)がある。
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