会津若松へやってきました。会津若松と言えば会津戦争が有名で、市内には多く戦争の跡や墓があります。また白虎隊も有名です。
今回はそんな会津若松にある旧幕府軍ゆかりの地を訪れます。
会津と言えば白虎隊です。ここ飯盛山にある白虎隊記念館では白虎隊ゆかりの品や資料が展示されています。
他にも会津藩主松平容保公を始めとして萱野権兵衛、西郷頼母、秋月悌次郎、中野竹子ら幕末の会津藩に関わりのあった人々や大河ドラマでおなじみの新島八重子の史料や、新撰組の近藤勇に関わる展示もされております。
飯盛山には白虎隊に関わるスポットが数多くあります。中でも白虎隊が自決したといわれる地に建つ白虎隊士の銅像が印象的でした。
若松城から上がる煙を見た白虎隊士たちは城が陥落したと勘違いし、若松城の方角を向き切腹したそうです。
さらに飯盛山には19人の隊士のお墓もあります。
会津藩主松平容保公が居城とした鶴ヶ城です。
会津藩主・松平容保公は京都見廻組や新撰組を雇い、尊王攘夷派の弾圧を行ったため、新政府に恨まれていました。そのため新政府軍は容赦なく会津に攻め込みました。
この鶴ヶ城は会津戦争最大の激戦区といわれており、天守閣には砲弾が撃ち込まれたそうです。
会津藩は若松城において約1ヶ月における籠城戦の後、降伏しました。
七日町にある会津新選組記念館へ。会津には土方副長を始め、新選組の多く隊士が終結し、新政府軍と戦いました。
館内には会津藩や新選組の資料に加えて、来援した旧幕府軍・奥羽越列藩同盟軍など会津戦争に関わる貴重な資料が展示されています。
会津の武家の歴史や生活をしているのがこの会津武家屋敷です。現在は歴史ミュージアムとなっています。この武家屋敷は会津藩家老西郷頼母の家老屋敷を復元したものだといわれています。
会津戦争の際、西郷頼母邸は篭城戦の足手まといとなるのを苦にした母や妻子など一族21人が自刃したことで有名で、会津戦争の悲劇の象徴として語り継がれています。