今回の軍艦島ツアーで作用したのは、ヤマサ海運株式会社のツアー。軍艦島ツアーは合計5社が運行しているのですが、それぞれの強みや弱み等は以下サイトにまとまっていました。
https://nagasaki-search.com/227/
ヤマサ海運ツアーで言えば、9時と13時発があるのですが出発30分前に長崎港フェリーターミナル1階の7番切符売り場集合となっており、そこで受付を完了させました!大人1人3600円でした★
正直どのツアーでも、とにかく上陸出来ればどこでもよかったのですが、私は特にこだわりはなかったのですが、大人気ツアー故に前以て予約してくださいね。
軍艦島、いざ到着です!!!
端島(はしま)が本来の名前なのですが、海底炭鉱の島で岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が、軍艦「土佐」に似ていることから軍艦島と呼ばれるようになったみたいです。
人数が多い為、2つのグループに分けて見学します。風が強いと上陸できずに、3回に1回の確率で入島出来ないみたいなので、雲1つない晴天でラッキーでした!私たちのチームは第2広場→第3広場→第1広場と見学することになりました。
さて、説明に移ります。当時は、船から着いた人は全員地下道を通って入島していたといいます。
第2広場からまず見学しました。ここにある2枚目の写真の建物から立坑(600M)を下がって、そこから横に2500M横に坑道が伸びていて、そこで石炭を採掘していたといいます。温度35度以上、湿度90%の作業場であり、24時間3交代で働いていたようです。
6回にわたって拡張工事がされているのが軍艦島で、6つ大きな排水箇所があるようです。3枚目の写真がそれです!
次に第3広場へ移動して、そこから30号棟、31号棟(白っぽい建物で左側)を遠くから見学しました。日本初の鉄筋コンクリートの建物で、技術的にも注目されているようです。31号棟の窓が小さくなっているのは、それだけ気象条件が厳しかった事を反映しています。
この建物の後ろ側には、昭和館と言われる映画館、公民館、パチンコがあったと言われています。軍艦島の工員さんの給料は平均給料の2倍もあり、比較的に裕福な生活をしていたようです。電気ガス水道も無料、生活に必要なものは全て揃っていたと言われています。
軍艦島を一周しても1200Mしかないので、工員さん達は知恵を絞って、高い建物をより高く、そして地下にも25Mプールを作る等して、生活を豊かにしていたようです。
閉山になるまで、5億円のお金を投資して、三菱が石炭を掘り出していたようです。閉山となったのは昭和49年。それまでここで採掘活動が行われていたかと思うと感慨深いですよね。
5300人がここで生活しており、人口密度は東京都の9.3倍もありました。
端島の小中学校(1枚目の写真で白い建物)は1-4階は小学校、5-8階は中学校でしたが、2年前に上層階部分が崩落して、今は残存部分だけ残っています。
学校の横に黒っぽい建物、65号棟は軍艦島では最古のアパートがありました。6畳半の非常に狭い部屋で、幼稚園が屋上に備えられていたようです。
1570万tの石炭が海底から採取され、北九州市の八幡製鉄所へ運ばれていました。その石炭を運び出すベルトコンベアが後ろに広がっています。燃料としてではなく、原料炭として使用されていたようです。
3号棟も左の崖の上にありました。8畳、6畳、6畳の間取りで、お風呂が部屋に備わっているのは、ここだけで、当時の工員はこの3号棟は高級アパートと呼ばれており、幹部役員のみが住むことが出来たと言われています。
それ以外の人達は島内に3つある共同風呂でを利用していたようですよーっ!
上陸ツアーが終了してから、30分くらいかけて、軍艦島の周りを船で周遊しました。
建物同士が全て渡り廊下でつながっていて、渡り廊下を歩き続ければ島内を一周できる仕組みになっていたみたいです。
軍艦島は東側が風や波が穏やかで、一方西側は風や波が強いと言われているので、主な住宅は防波堤の意味も込めて、西側に多く建設され、東側に坑道が伸びていたり、船着場があったりします。
13時に長崎港を出発して、15時前に軍艦島周辺を出発。再度長崎港に戻ってきたのは15時半でした!!
世界遺産2015年に登録されて以来、ずっときたかった軍艦島にこれてよかったです★ただ、どの会社も席に限りがあるので、予約は前もってやってくださいね。私は11/5のツアーでしたが、9月頭に申し込んでギリギリなんとか予約できたという状況でした。。危ない。。
最後に軍艦島上陸証明証を受け取って、ツアーが終了致しました★
大満足、長崎市内からもすぐですし、予約だけできれば!!是非参加してみてくださいね★