こちらの佐竹寺は、寺記によれば大同2年(807年)徳一の開創とされるが、坂東霊場記では寛和元年(985年)に板東巡礼中の花山院が、随行の元蜜上人に聖徳太子作の十一面観音像を与えて建立させたとされている。建立当時は観音寺と呼ばれ、現在地の北西、稲村神社の北の洞崎の峰にあったとされています。
東日本大震災のあと、こちらの仁王門もかなりのダメージを受け、しばらくはそのままでしたが、その後、修復され、現在のように建て直されました。
天文15年(1546年)に佐竹氏18代佐竹義昭が、佐竹城(太田城)の鬼門除けとして現在地に再建したとされています。
最盛期には六支院と三ヶ坊を有したが、関ヶ原の戦いの後、佐竹氏が出羽に移封されたことにより衰退してしまいます。
それでも、江戸時代は坂東三十三観音霊場の二十二番札所としての賑わいがあったが、明治に入っての廃仏毀釈より荒廃し、昭和24年(1949年)まで無住の寺であったとされています。
往時をしのぶ建物は本堂のみであり、寺院本堂には珍しく北向きに建てられております。
本堂は寄棟造、茅葺で、主屋の周囲にこけら葺の裳階(もこし)をめぐらし、正面には唐破風がついてます。
窓や柱、梁などに桃山建築につながる意匠が見られ、1906年に国の重要文化財に指定されました。
しかし、本堂の傷みは、かなり激しく、せっかくの重文なのに… という感じが否めません。
現在も、坂東巡礼の者が多く訪れるだけに、何かしらの手立てはないものかと思ってしまいます。
仁王門入って、右手に納経所があります。
こちらで御朱印を書いてくださっているのは、年配の女性です。
かなりご高齢なので、いつまでもお元気でいてくださればと願うばかりです。
さらに、猫ちゃんたちも多く出迎えてくれる、こちら。
お詣りのたびに、おばあちゃま同様、ほっこりとさせられる瞬間なのでした♪