寛永寺の観音堂として建立されたのが「清水観音堂」です。
「清水観音堂」は、その名のとおり、京都・清水寺を模したものです。
もちろん、”清水の舞台”もあります。
歌川広重の『月の松』も2012年、150年ぶりに復元されました。
こちらの詳しい様子はこちら!
https://play-life.jp/plans/23887
上野と言えば?「パンダ」と答える人も多いですね(笑)
最近は、”シャンシャン”人気で、開園前に行列ができる事も多くなりました。
でも、上野動物園には、他にもたくさんの動物がいますので。
そちらも楽しんでほしいですね♪
ちなみに入園料は、大人600円で小学生までは無料です!
こちらは、旧東京音楽学校奏楽堂です。
東京藝術大学音楽学部の前身、東京音楽学校の校舎として、明治23年(1890)に建造され、日本における音楽教育の中心的な役割を担ってきました。
2階の音楽ホールは、かつて瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です。
現在は台東区が東京藝術大学から譲り受け、平成25年(2014)4月より、保存活用工事のため休館していますが、平成30年11月2日(金)にリニューアルオープンが決定しました。
京国立博物館敷地内にある黒門。旧因州池田屋敷表門。
旧丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門です。
明治時代、当時の東宮御所正門として移されたのち、高松宮邸に引き継がれ、さらに昭和29年(1954)当館に移築されました。創建の時期は明らかでありませんが、形式・手法から見て江戸末期と考えられます。
大名屋敷表門では東京大学の赤門と並び称されるものです。
確かに、立派な佇まいです。
土日は門が開かれており、中の様子を道沿いからも眺めることができます。
この時は、梅が満開でした♪
上野にある「東叡山寛永寺」は、
寛永8年、二代将軍徳川秀忠から寄進された現在の地に、天海僧正によって開山されました。
当時、京都の鬼門を守るのが比叡山延暦寺でしたので、それを真似て江戸を守る“東の比叡山”として建てられました。
最盛期の寛永寺の境内は、現在の上野公園を中心に35万坪もの広さがありました。根本中堂(総本堂)は間口45m・高さ32m・奥行き42mの壮大なものだったと伝えられています。
徳川家の庇護を受けて栄華を誇った寛永寺ですが、幕末に起こった戊辰戦争で境内に彰義隊が立てこもったため、伽藍のほとんどが兵火によって消失。
現在の根本中堂は、川越喜多院より本地堂を移築しました。
御本尊は、最澄が自刻したと伝えられている薬師瑠璃光如来像(国指定重要文化財)秘仏になってます。
また、幕末に十五代将軍徳川慶喜公が謹慎蟄居なされたのが、こちらの「葵の間」です。
いまでもその部屋はそのままになっているそうです。
その他、寛永寺の御霊廟には六名の将軍(四代家綱公、五代綱吉公、八代吉宗公、十代家治(いえはる)公、十一代家斉(いえなり)公、十三代家定(いえさだ)公)が埋葬されています。
こちら、通常は非公開となっています。(予約により見られるようです)
上野の歴史語る上では、重要な役割の「寛永寺」
徳川が繁栄した江戸の街に想いを馳せながら、ぜひ、お詣りしてみてください♪