こちらに行ったのは、夏の終わり。
まだ、暑い頃でした。
でもね~。
こんなに暑い中でも、さすが”世界遺産”だけあって、
たくさんの方がお詣りされておりました。
そう… どの観光地もそうですが、
特に外国人の方の多さが目立ちますね。
ここでは、あの有名な「三猿」が、
この度修復作業を終えて、生まれ変わって公開されてます。
こちらの詳しい様子は…
⇒ https://play-life.jp/plans/25243
人だかりで、なんだかわからなくなってますが、
こちらは、「御水舎」(おみずや)
こちらも重要文化財です。
というか、いくつあるんだ、重文!(笑)
神様にお参りする前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清める為の建物です。
水盤は元和4年(1618)九州佐賀藩主鍋島勝茂公によって奉納されました。
ちなみに、昔は身を浄めるために川に入っていたとされていますが、
現在のような「手水舎」の形になったのは江戸時代初頭、
しかも、ここ日光東照宮が最初であったとされております。
あーっ、ここも人だかりですね~(*´Д`)
というのも、ここは東照宮でも指折りのパワスポの場所なんです。
(ここにいるみなさんが知っているかは疑問ですが…)
ここは、「北辰の道の起点」でして。
鳥居から見て陽明門がうまく収まる場所がありますが、
このあたりが北辰の道の起点と言われ、
最も強力なパワースポットの一つと言われています。
ちょうど、鳥居と陽明門を結んだその先に北極星がくるように造られています。
陽明門の手前に左右対称(シンメトリー様式)に立っている、鐘楼・鼓楼。
こちらも見上げるほどの大きさで、しかも豪華!
向かって右が釣り鐘を収める鐘楼、左が太鼓を収蔵する鼓楼です。
ぼぼ同規模、同意匠の造りの二棟で、高さ約12m袴腰型の櫓造り。
彫刻の数は鐘楼の方が霊獣、鳥類、水波、文様と総計78ケで鼓楼より多く、
何故か鼓楼には鳥類の彫刻が一つもないのだそうです。
不思議ですね。
こちらも陽明門手前にあります。
オランダ東インド会社から奉納された八角形の大きな回り燈籠。
三つ葉葵の紋が逆で「逆紋の回り灯籠」 と呼ばれています。
また、ポルトガルから鉄材を取り寄せて造らせたという南蛮鉄燈籠は、
陽明門石段の右に二基あって、あの伊達政宗が奉納されたと言われています。
どれも一見の価値アリですので、見落とさないでくださいね。
そして、こちらが東照宮でも特に人気の「陽明門」です。
こちらは、なんと国宝でございます。
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられています。
いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、
故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。
この陽明門は 江戸時代の建築様式、工芸、彫刻、絵画などの江戸の文化が
すべてが凝縮され詰まっているとも言われています。
平成25年7月から、修復工事(平成の大修理)行われていましたが、
2017年(平成29年)3月、工事が終了し、
現在は、無事公開されております。
私が前回お詣りしたときは、改修中でしたもの。
今回、その美しい姿が見られてよかったです♪
陽明門は、別名「勅額門(ちょくがくもん)」ともよばれています。
「勅額」とは、天皇が直に筆した文字を「扁額(へんがく)」にして
寺院や神社へ送った「額」のことです。
陽明門の扁額は「後水尾天皇」の直筆による扁額であり「東照大権現」と書かれています。
また、陽明門の天上には、狩野探幽作の昇り龍と降龍が描かれています。
これらの龍は別名を持っており、
昇り龍は別名で「八方睨みの龍」降龍は別名で「四方睨みの龍」と呼称されています。
門をくぐる際には、天井にも注目です。
それと、こちらも有名な「魔除けの逆さ柱」です。
門には12本の柱があり、「グリ紋」と呼ばれる渦巻状の地紋と鳥獣、
草花が彫られている白い柱で支えています。
その中の1本だけ、グリ紋が逆になっているのですが、
これが「いつまでも未完成である」という意味をもち、
永遠に崩壊しないようにという、魔除けの役割をしているのだそうです。
この陽明門には、508体の彫刻があります。
(そのうち人物の彫刻は156体)
これらの彫刻は、狩野探幽の作品に数多く登場することから、
陽明門のデザインに関しての総指揮は、
狩野探幽が単独で一任されていたと云われております。
探幽は従来の常識を大きく超え、
子どもたちが無邪気に遊ぶ姿をかたどった
中国の「唐子遊び」のモチーフをも彫りこんでいるのですが、
それは、「子供が安心して遊べる世界を造る」という徳川家の目的であり、
「その為に戦争の無い国を造る」という思いがこめられていると言われています。
そして、随神像も立派で美しく修繕されたようです。
東照宮は家康公の陵墓と言うこともあって、
随身像1つをとっても意味合いがあると言われており、
一説では、2つの随身像には、
明智光秀の「明智家の家紋(桔梗紋/ききょうもん)」が付されていると言われており、
明智光秀を模した像なのでは?・・などとも云われております。
東照宮には、まだまだ解明されていないものがあるようですね。