この日、GWの渋滞を回避するべく、朝早く自宅を出発!
まぁ、お出かけはやっぱり「朝活」が大事!ですからね(笑)
こんにちは!
絶景ハンター♡ 高橋 のりこ です。
朝は、案外強い、わたしです(*^^)v
今回は、「春の福島旅」という事で、
会津若松方面を中心に予定を立てました。
会津と言ったら、外せない名城「鶴ヶ城」
桜の時期には少し遅かったですが、
それでもまだ咲いていた八重桜やしだれ桜を楽しんでまいりました。
人の多さに少しげんなりしましたが、見どころ満載の場所でした♪
詳しい様子はこちらのプランから…
福島観光の定番!赤瓦の名城「鶴ヶ城」はやっぱりとても美しかった♡
「鶴ヶ城」を堪能したら、次も定番の場所に移動します。
車では数分の場所にあるこちらは、「鶴ヶ城」と並ぶ観光地、
「飯盛山」でございます。
こちらの近くには市営の無料駐車場もあり、観光にはとても便利です。
しかも、駐車場内には観光案内所もあり、わからない事はこちらで聞く事もできます。
レンタサイクル(有料)も、こちらで受け付けてくれます。
そこから、歩いてすぐの場所から、
長い急な階段が始まります(>_<)
自信のない方には、「動く坂道・スロープコンベア」もありますので…(*^^)v
ぜひ、お使いくださいね!
ながーい階段です(;'∀')
途中、休み休み登って行きます。
振り返ると、素晴らしい景色が広がっていました。
この景色を見ると、一気に癒されました。
わたし、千葉県人なので、こういう景色が大好きです♡
(↑ 海ばかり見て生活してるのでwww )
そして、着いた先。
そこは「白虎隊霊場」です。
ちょっとした広場になっております。
まず、最初に目につくのは正面の「イタリー記念碑」
これは1928年に、白虎隊士をたたえてローマ市民からとして、
当時のイタリアの首相ムッソリーニから
『白虎隊とイタリアのファシスタ党とは、一脈相通じるものがある。』と贈られた石碑だそうです。
一番上には右足に鉞を持った青銅の鷲が羽を広げていて、
また、中心の円柱は、古代ローマ宮殿のものだという事です。
他にも、「ドイツ記念碑」や「会津藩殉難烈婦の碑」などもあります。
そして、こちらのメインはやはりココでしょう。
「白虎隊士の墓」
白虎隊は、とても有名ですので、ご説明は不要かと思いますが、簡単に…
白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、
16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊。
明治元年(1868)の戊辰戦争において飯盛山で自刃した十九士がここに眠っております。
当初、自刃した隊士の遺骸は、西軍により手をつけることを禁じられていました。
約三ヶ月後村人により、密かにこの近くの妙国寺に運ばれ仮埋葬され、後この自刃地に改葬されました。
現在の形に十九士の墓が建てられたのは明治二十三年です。
この日もたくさんの人が訪れておりました。
ひとつ、ひとつ、それぞれのお墓にお線香を手向ける方もいます。
ドラマやたくさんの書籍も出されているので、その人気も手伝っているのでしょう。
広場右手方向に行くと、その先に階段があり、
「白虎隊士自刃の地」に向かいます。
ちょっと細い階段ですので、気を付けて行きましょう。
両脇には、墓地もありますので、マナーを守って歩きます。
先程も触れましたが、会津藩は、15歳~17歳の少年で『白虎隊』を編成し、
その中でも、士中二番隊は会津藩校日新館に学ぶエリート隊でした。
彼らは明治元年(1868年)8月23日、戸の口原での戦いで決定的打撃を受けて潰走し、
負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びました。
わたしたちが学んだ一般的なお話だと、
若松城周辺の火災(もしくは城周辺から上がる湯気)を目にして、
落城したと誤認して悲観したとされていますが、本来は少し違うようです。
ここから眺めた戦闘にによる市中火炎の模様、黒煙と炎に包まれる鶴ヶ城を見て、
自分達の至らなさで会津をこんな火の海にしてしまったと、
いち早く会津の負けを悟り、敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった彼らは、
自ら命を絶っていったそうです。
たかだか150年ほど前の話です。
わずか16、17歳の少年たちが、状況把握を誤ったために自刃を決行し、
最後まで武士としての誇りを見せた姿は、やはり涙なくして語る事はできません。
それを思い、いま、こうして平和な世の中で暮らしていける幸せ。
改めて感謝しなくてはなりませんね。