こんにちは!
神社仏閣大好き♡御朱印ガール 高橋 のりこ です。
今回は、「日本橋七福神巡り」をするため、
お出掛けしてきました♪
実は、以前、お出かけついでに回った七福神巡りですが、
時間の関係上、途中で断念してしまって…
すべて回り終えることができませんでした。
なので、今回は完結すべく、残りの神社さんにお詣りさせていただくことに。
前回は、こちら「笠間稲荷神社」さんにお詣り。
こちらに祀られている「寿老神」は、
長寿の神・お導きの神・幸運の神として、
運命を良い方向に切り開いて下さる神様です。
そこの迷える子羊さん♪
ぜひ、こちらにお詣りしてみては?
こちらの詳しい情報はこちらのプランからどうぞ!
【日本橋七福神】運命を良い方向に導く♪寿老神を祀る「笠間稲荷神社 東京別社」
やっとここまで来ました(笑)
七福神、最後となるのはこちら!「末廣神社」です。
やはり、都会のど真ん中ということで、
こちらの神社さんも、ビルの谷間にひっそりと、
しかし、その景色に溶け込むように立っておりました。
うっかりすると、見逃してしまいそうな、
とても小さな神社さんです。
こちら「末廣神社」は、江戸時代の初期に吉原(当所葦原と称した)が、
この地にあった当時(元和3年から明暦3年まで)その地主神、産土神として
信仰されていたそうです。
明暦の大火で吉原が移転してからは、
その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰されたといいます。
道路際に建つ鳥居から一歩入ると、そこは神域になります。
一礼して中に入ると、左手すぐに手水舎があります。
境内は狭いながら、とても綺麗にお手入れされていて、
とても気持ちいいです。
鳥居の脇には、日本橋七福神の説明書きと地図がありました。
こうして地図でみても、
それぞれの場所がとても近いのがわかっていただけると思います。
さすが、日本で一番短い距離で回れる七福神です♪
手水舎を過ぎると、「は組」の石碑が…
なんだろうと思って、調べてみたところ、
「江戸町火消し「は組」の碑」
江戸町奉行(南町奉行)大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)は、
享保三年(1718)に町火消をつくり、
享保五年(1720)には、隅田川を境に西側の区域を担当する「いろは四十八組」を編成し、
本格的な町火消制度を発足させました。
は組は、この地域を担当した「いろは四十八組」のひとつなんだそうです。
おーっ、大岡越前でしたか^m^
その側には、ご神木と小さな祠。
この神社ができてから、ずっとこの場所を見守ってきたのでしょう。
地元の方々から愛されたきた鎮守様です。
そのパワーは計り知れません!
こちらに来たら、ぜひ、本殿と合わせてお詣りしてみてください。
こちらが拝殿になります。
三方をビルに囲まれて…(^_^;) なかなかスリムなスタイルです(笑)
こちらの「末廣神社」という名は、
延宝3年(1675)、社殿を修復した祭に、
由緒の良い中啓(末廣扇)が見つかったことから、
これに因んで「末廣神社」と名付けられました。
御祭神は、宇賀之美多摩命(うかのみたまのみこと)
そして、七福神の担当は、武甕槌命(たけみかづちのみこと) すなわち毘沙門天さまです。
毘沙門天は、別名、多聞天と呼ばれており、
勝運向上、疫病鎮め、厄除、財運向上、福徳繁栄など様々なご利益があります
そして、本殿向かって右手が社務所になります。
こちらで御朱印の対応をしてくださいます。
お守りの数種類ありまして、
特に扇型のものと毘沙門天さまのものが人気のようです。
社務所前には毘沙門天さま。
なんとも可愛い♡ 思わずパシャリ!!
実は、こちらの末廣神社には、
成功を収めた企業経営者や、
億単位を稼ぐトレーダーが密かに足を運んでいるのだとか…
そんな噂がささやかれる神社さんですから、
こちらには、そういう方々の強いパワーが集まっているわけです。
もし、あなたが富と財を手にしたい!!とするならば、
こちらにお詣りする事をおすすめします(^^)v
日本橋七福神、いかがでしたか?
この七福神巡りの文化は、江戸時代の中頃に盛んになったと言われています。
浮世絵にも宝船に乗った七福神が描かれ、
正月には初詣でを兼ねての七福神詣でが庶民の間で人気だったそうです。
日本橋七福神巡りは、日本一短いとされる七福神巡りです。
お買い物ついでに、街並みを楽しみつつ、
歩いてみるのはいかがでしょうか?