熊本県に属する離島で、5つの端で繋がる広大な面積を持つ諸島です。
大きく上天草、下天草の上下に分かれ、その周辺に細かく離島が点在しています。
本土と橋でつながっているためか、近年移住者も増えており、レジャーでも観光でも移住でも注目度の高い離島です。
下天草の苓北町にある「富岡城二の丸公園」。
富岡城は1601年に天草の領主となった、肥前唐津藩の寺沢志摩守広高によって1602年頃から築かれたそう。
この寺沢氏は、富岡城に藩代を配置し天草を統治しましたが、1637年に島原・天草一揆で一揆軍から攻撃を受け、この乱後、山崎甲斐守家治の領地となり、山崎氏は大規模な修築及び拡張を行い現在に見られる富岡城の形ができたとされています。
島原天草一揆の爪痕がここにもありました。
それほど、大きな一揆となったのですね。
天草の穏やかな海を望むことができます。
キリスト教の迫害で処刑された、天草で唯一「福者」に列せられた「アダム荒川」を顕彰する広場です。
富岡城二の丸公園から車ですぐの場所にあります。
このアダム荒川は、キリシタン禁教令により、志岐教会からガルシア・ガルセス神父が追放され、代わりに教会を守り通し、3ヶ月にもわたる迫害にもめげず信仰を守りとおす態度をとり続けたため、斬首の刑に処されることとなった人物です。
当時の日本ではこの宗教という概念を恐ろしいものと捉え、宗派が一致団結した時に脅威となるとし、弾圧を続けてきました。
今でこそ、無宗教な人が多い日本ではありますが、こうした歴史を歩んできたことを400年経った今、もっと考えていかなければならないですね。
Google mapをよく見ていると、気になるスポットが・・。
これはなんだろうと差し掛かったところで探し探し、発見!
車を降りることはできませんでしたが、遠くから見ても名前通りのものにそっくりな巨大岩でした。
時間がある方は降りて、近くで見てみてはいかがでしょうか?
下天草・苓北町から車でおよそ45分ほど。
天草は広いので、車でかかる予想時間をプラスした時間を考えながら動く必要があるので、ちょっと大変。
上天草に到着しました!
上天草の江樋戸港から行ける小さな離島・湯島に渡りたいと思います。
小さな渡船でおよそ30分ほどで、「猫の島」と呼ばれる島にたどり着きます。
有明海に浮かぶ湯島は、上天草市大矢野町にある江樋戸港から連絡船に乗ります。
「えびと」と読む港です。
港近くには専用の駐車場があるので、そちらに車を停めましょう。
大きな港ではなく、待合所もこじんまりとしています。待合所の緩さも島ならでは。
島旅、船旅に慣れていない方は早めに着いて辺りを散策するのがオススメです!
そして、島旅の最大のポイント。
島にはコンビニや大きい商店はないので、お菓子や食べ物などお腹が空いた時に食べるものを持参しておきましょう。
自動販売機は至るところにあったので、飲み物は心配ご無用です。
船では真っ黒に日焼けした島のおじちゃんが迎えてくれます。
運賃は、切符制ではなく、船に乗って出航したら料金を回収に来てくれます。
乗船したら準備しておきましょう。
千円札や小銭などに両替しておくのがオススメです。
では船に乗り、出発〜!
満潮時は現れないという、湯島海水浴場の砂浜へ。
7月頃から飛び込み台も設置されるそうです。
島の子どもたちはここで遊ぶのでしょうか。
透明度の高い、綺麗な海です。
知る人ぞ知る、美しい砂浜の海岸にぜひ足を運んでみてください。
湯島の食堂「海女ちゃん食堂 乙姫屋」に来てみました。
島の古民家で食べる食事は島人になったような経験を得られます。
こちらのお店では、その日その日でとれた島の食材を使い、料理で提供をされています。
小さな島で食材が非常に限られてくるので、事前予約がオススメです。
ちなみに、私はこの日予約をするのを忘れていましたが、なんとか入らせてもらえました、、!
ありがたいお話です。
1000円の内容と1500円の内容と選ばせてもらえました。
せっかくなので、1500円の内容でお願いして当日予約をしました。
この日は団体のお客さんが入っていたようなので、本当にラッキーでした、、!
やはり事前予約をしておいた方が良いですね。
お料理の内容は、タイのお刺身や生うに、海鮮物の小鉢、島の農産物の天ぷら、魚のお椀、ご飯でした。盛りだくさんの島の幸に目もお腹もいっぱいで、とても幸せな食事のひとときでした。
海女ちゃん食堂でお腹いっぱい食べさせてもらえたので、腹ごなしがてら島を散策します。
ということで、集落から標高約104mの場所の「峰公園」に行ってみました。
ここまでの坂道は舗装されてはいるものの、勾配が急でなかなかハードでした!
辺りは畑や木々に囲まれていて、近くには灯台もありました。
そして、この島が「談合の島」と呼ばれる所以。
それは、1637年に起きた「島原・天草の乱」で、天草と島原のキリシタンたちが密かに集まって戦いの決起をし、作戦を話し合った地だという諸説があるからです。
かの天草四郎も、ここで一揆の総大将に任命されたと言い伝えられています。
キリシタン墓碑も同地にあり、歴史の重みが天草地方のあちこちに隠れているんだなあと深く感じました。
それでは、本土に帰って福岡に戻りましょう!