北部九州の人は名前くらいなら聞いたことのある離島「対馬(つしま)」。
その昔、対州国と呼ばれ、海外と日本との交流拠点となってきた歴史的にものすごく価値のある国境離島です。
壱岐を挟んで福岡県の真上にありますが、実は属している県は長崎県!
島の形は縦に長細くて、端から端への移動には4時間以上かかるという、沖縄のようなアクセス感覚があります。
対馬へのアクセス方法は2通りあります。
ひとつはフェリーor高速船で、福岡の博多港〜対馬の厳原港まで行く方法です。
もうひとつは福岡空港から対馬空港まで飛行機で行く方法です。
フェリーだと4時間、高速船だとその半分の2時間ほどで到着しますが、船賃も2倍の金額になってしまいます。
対馬旅では、「十分なスケジュールを確保して行くこと」と「目的地をあらかじめ決めておくこと」をおすすめしています!
なにせ対馬はとっても広い!広すぎる!!!
移動で時間が取られてしまうので、ルートやレンタカーの手配などしっかり準備をしておきましょう。
今回わたしは、博多港から厳原港まで【高速船】を使ってみました!
高速船だと2時間ちょっとで対馬に着くので、車で福岡から長崎に行くくらいの感覚で旅することが可能!
シーズンの夏場以外も1日数便出航しているので、スケジュール次第では朝・昼・夜問わずに対馬へ行くことができます。
冬場は海がしけることも多く、天候がよろしくないときは対馬に近づくたびに船の揺れが増すので、酔い止めを持って行くことをおすすめします!
厳原港周辺から金田城のコース入り口までかかる時間は、片道30分。
そこまで遠くないので、下船して車を借りても1時間以内に到着することができます。
今回は、厳原港に12:45に到着する高速船に乗ったので、そのまま金田城に向かいます。
長崎県の離島・対馬 中央部の浅茅湾に突き出した「金田城(かなたのき)」(城山とも呼ばれます)は、663年白村江の戦いで敗れた大和朝廷が築いた古代の山城です。
西暦660年、朝鮮三国のひとつ百済が唐・新羅の連合軍により滅亡しました。
百済を救援する為に送られた倭国軍も、663年に朝鮮半島西岸の白村江で大敗し、倭国は西日本各地に古代山城(朝鮮式山城)を築き、唐・新羅の侵攻に備えました。
667年、浅茅湾南岸に突き出した「城山」(じょうやま)に「金田城」(かなたのき)が築かれ、東国から召集された防人たちが城山山頂から朝鮮半島を睨み続けたといいます。
今では感じる機会は少ないですが、当時の対馬は国防の最前線であり、極度の軍事的緊張が漂う国境の島でした。
それから1000年以上の時が過ぎ、金田城は日露戦争に、再び要塞として整備され、巨大な砲台が据え付けられました。
1300年前に防人が築いた古代山城と、100年前に旧日本陸軍建設した近代要塞が並存する城山は国の特別史跡に指定されました。
一般社団法人 対馬観光物産協会によると標高は276メートルで、登山口から頂上のコースタイムは休憩時間を除いて、往路50分、復路40分程度とのこと。
ルートの順番は、
コース入り口→黒瀬湾を望む→南門・東南角石塁→東屋→南西部石塁→旧軍施設から見た水平線→城山山頂
の通りです。
(詳しいコースは、登山アプリ「ヤマップ」で確認することをオススメします!)
金田城は城山で敵からの襲撃を防ぐ役割を持っていたため、山中にあちこちに重要なスポットがあります。
頂上だけを目指すのであれば、所要時間は往復90分ほどですが、山中をぐるりと巡るのであれば、5時間ほどの時間がかかります。
ちなみに、今回わたしは城山をぐるりと1周したため、コース入り口に戻ってくるまで5時間ほど時間を要しました。
休憩時間を挟みながらの5時間なので、サクサク進めばもう少し時間短縮はできるかもしれません。
ルートの順番は、
コース入り口→黒瀬湾を望む→南門・東南角石塁→三ノ城戸→防人住居跡(ビングシ山)→二ノ城戸→一ノ城戸→大吉戸(おおきど)神社→防人住居跡(ビングシ山)まで戻って、東屋→南西部石塁→旧軍施設から見た水平線→城山山頂
の通りです。
(詳しいコースは、登山アプリ「ヤマップ」で確認することをオススメします!)
先ほども説明をしましたが、金田城は頂上まで時間がそれほどかからない初心者向けトレッキングコースであるものの、コース②は急な斜面や岩場が多く、装備をしっかり整えていないと危険な道がいくつかあります。
登山靴、トレッキングポールはもちろんのこと、軍手などの手袋、水分、タオル、帽子など、登山をする際に最低限必要なものはあらかじめ準備をしておきましょう。
それではサクサク登っていきましょう!
今回登るはコース②です!
5時間がっつりトレッキングして来ようと思います!
澄み渡る快晴、とってもラッキーです。
美しいオーシャンブルーを望むことができる黒瀬湾。
崖に腰掛けて一生ここで過ごしたいものです。
南門は平成15年の調査によって発見された遺跡です。
結構最近に発見されたものなんですね。
保存状態がよく、水抜きの溝なども確認できるほどで、将来の調査の有望株のようです。
金田城の中枢だと考えられている防人の住居跡、ビングシ山。
少し草の分け入ったところに位置しているので、見落としてしまいそうです。
迷子にならないようにヤマップや地図を活用しながら進みましょう。
城門両側に積まれている石垣の高さが5m以上にもなるという、ニノ城戸。
築造当時はもっと大きい要塞だったのではないかと推測されています。
威容を誇る姿だったのでしょうね。
石垣の上を歩きながら下を見てみると、とても高い石垣の上を歩いていることがわかりました!
看板を見てみると、これは一ノ城戸。
ものすごく高く、下に石がゴロゴロ崩れていることからもっと高い立派な門があったのかもしれないなあと古代にロマンを感じます。
城の鎮守として建てられた神社とされている大吉戸神社。
出立は今も謎だとされていますが、正史の『日本三代実録』に記載されている歴史のある古社だとのこと。
こうして昔から対馬を守ってきた神様がいらっしゃるのだとしみじみ思いながら、帰路の無事をお願いしました。
海に面している神社で、入江のためか波は穏やかでとてもよい休憩場所として鳥居前のスペースを利用させていただきました。
日露戦争時に要塞として整備された旧軍施設です。
砲台跡やその他施設が生々しい歴史を物語っています。
浅茅湾が一望できる城山の山頂にやってきました!
大吉戸神社ルートから山頂まで登る道は最近はあまり整備されていないようで、道なき道を歩いていた気がします。
こちらのコース②を選ぶ際は気をつけながらゆっくりと登るようにしましょう。
対馬では「海洋ゴミ」がここ数十年の社会的な問題となっています。
韓国からの海洋ゴミ、本土からの海洋ゴミが流れ着き、入り組んだ湾も多いため、海洋ゴミが流れ着きやすい構造になってしまっているんだそう。
山の中に捨てたゴミが雨風によって海に流れ出て、魚や海の生き物の体の中に入ってしまう危険性、海が汚れてしまう恐れがあるので、絶対に自分が持ってきたゴミは持ち帰りましょう!
木坂エリアから車で2時間半ほど、本日の宿「宿坊 対馬西山寺」へ到着です!
西山寺は江戸時代から明治にかけて、朝鮮との外交機関が置かれていた由緒ある臨済宗南禅寺派のお寺です。
厳原港を一望できる高台に位置する宿坊は、元々は僧侶のみが宿泊できる場所でしたが、近年寺社文化の体験ができる場所としてニッチな観光客の間では話題になっています。
駐車場がわかりにくいので、一度宿のスタッフへ尋ねてから駐車をしましょう。
今回わたしがこの宿を利用するのは3回目です!
心地よいリラックス感を感じるので、たびたび利用させていただいています。
こちらの宿坊では、早朝に座禅体験を自由に受けることができます。
座禅は朝の5時30分からお堂で始まります。
朝食は朝7時から食べることができるので、その日のスケジュールに応じて行動をしましょう。
座禅は参加自由で、チェックインの時に参加の可否をお宿の人に尋ねられます。
連泊の方は、毎日参加するもよし、1日だけ参加するもよし。
スケジュール次第で是非参加することをおすすめします!
朝の静かな清廉とした空気、小鳥のさえずる声で、心と頭がすっきりとなります。
毎回1日だけでも参加するようにしているのですが、背筋がシャッキと伸びるので、良い1日の始まりを迎えることができます!