軍艦島にわたるには、いくつかの会社がツアーを企画しています。今回利用したのは軍艦島上陸クルーズ3100円+300円(見学料)。船がかっこいいデザイン。午前と午後がありますが、午前を選択。長崎港から9時40分に出航します。ただし、時化のときなど、欠航することもよくあります。
ツアーを比較すると次のような感じです。
軍艦島上陸クルーズ 3100円+300円 上陸のみ※周遊ないが、高島の石炭資料館による
http://www.gunkanjima-cruise.jp/
軍艦島コンシェルジュ 3600円+300円 上陸+周遊
http://www.gunkanjima-concierge.com/
軍艦島上陸周遊クルーズ 4200円+300円 上陸+周遊
http://www.gunkan-jima.net/joriku
軍艦島ツアー 3600円+300円 上陸+周遊
http://www.gunkanjima-tour.jp/tour/point.html
ポイントは周遊するかしないか。また、ガイドさんの中には、元端島の住人の方もいるようです。
おすすめの席は二階席、長崎港の眺めを楽しめます。ただし冬などは寒いので防寒は必須。
海猿で知られる海上保安庁のでじまが停泊していました。100年以上現役のジャイアント・カンチレバークレーン。そろばんドック(小菅修船場跡)。女神大橋をくぐりぬけます。左手に世界最高峰の超巨大な三菱重工の100マントンドックが見えます。
右手に、長崎港の玄関口にある神ノ島教会と、航海を見守るかのようなマリア像(岬のマリア様)が見えてきます。
長崎港から軍艦島まで、およそ50分のクルーズを楽しみます。
長崎港から約19キロメートル沖にある軍艦島にやがて到着。正式名称は端島(はしま)という名前です。周囲約1.2キロメートルのこの島は、かつては海底炭鉱として栄えましたが、現在は無人島になっています。
上陸側から見える建物は次のようなものです。
(左上)
右が端島小中学校で、裏手に校庭が広がります。左が端島最大の大きさのマンションです。
(右上)
岡の上にある建物は、三井の幹部のマンション。部屋数も多く、各家にお風呂が設置されていました。
(左下)
岡の上には端島神社があります。毎年4月3日に行われていたお祭りのときだけ、炭鉱の機械もストップ。それ以外の日は昼夜交代制で稼働していたといいます。
(右下)
いよいよ軍艦島に上陸。入り口付近には、石積みでつくられた壁をあります。
第1見学広場で、軍艦島の説明が行われます。
島の周囲を壁で囲われる軍艦島。もともとは岩の塊だけの島。そこに石炭の不要になったボタで埋め立て、周りを壁で囲んだ島です。
風雨や波にさらされ、建物の老朽もともない、刻一刻とその表情を変えているといいます。
次に、歩道を一番奥まで進んで、第3見学広場へ。島の反対側に行きます。
中央にあるのが、日本でもっとも古い鉄筋アパートとよばれる30号棟は、1916(大正5)年建築、およそ100年のときを刻んでいます。ここは炭鉱夫がくらしていた一間のアパートだそうです。
昼夜交代ではたらく炭鉱夫は、深夜であっても、必ず子どもを起こし、別れを言わせたといいます。それほど、死と隣り合わせの仕事であったためです。
第2見学広場に到着。総合事務所跡のすぐ隣に、第二竪工入坑桟橋があります。ここは炭鉱夫たちの執念が宿る場所。ここから炭鉱夫たちは採掘現場を目指しますが、帰ってこれなかった人も多くいたといいます。
採掘現場までの道は、まずここから600mの地下にほとんど落下するような速度で直滑降します。屈強な男でも、最初は気絶するといいます。そこから2.5kmほどトンネルをあるき、さらに急な坂道を海面下1000mまでくだって採掘現場に到着します。
採掘現場は、気温30度、湿度95%という環境。常にガス爆発などの危険と隣り合わせでした。この環境に耐え切れず、長く持たずに帰って行く人も。家族など重荷を背負った人ほど、ここに留まり続けたといいます。
高島に到着しました。30分ほどで、石炭資料館をめぐります。ここには炭鉱にまつわるさまざまな資料が展示されています。軍艦島(端島)の展示コーナーも設けられています。この島には、三菱の創始者、岩崎弥太郎の像や、グラバー別邸もあります。
石炭資料館の外には、ありし日の軍艦島(端島)の模型が展示されています。かつては5000人の人々がくらしていたこの島には、子どもの情操教育のために屋上の緑地化(畑や田んぼ)が行われていました。
映画館や端島銀座という歓楽街があるなど、当時はかなり賑やかな町だったようです。帰りの船内でも、軍艦島(端島)のDVDを鑑賞。12時50分くらいに長崎港に到着予定ですが、20分くらいはやく到着しました。
行く前と、行ったあとでは、軍艦島のイメージは大きく変わると思います。