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寛永寺の遊び方・口コミ(2件)

norinori
【上野散歩】上野の歴史はまずここから!江戸の鬼門を守り続けた徳川家繁栄の礎「寛永寺」上野にある「東叡山寛永寺」は、 寛永8年、二代将軍徳川秀忠から寄進された現在の地に、天海僧正によって開山されました。 当時、京都の鬼門を守るのが比叡山延暦寺でしたので、それを真似て江戸を守る“東の比叡山”として建てられました。 最盛期の寛永寺の境内は、現在の上野公園を中心に35万坪もの広さがありました。根本中堂(総本堂)は間口45m・高さ32m・奥行き42mの壮大なものだったと伝えられています。 徳川家の庇護を受けて栄華を誇った寛永寺ですが、幕末に起こった戊辰戦争で境内に彰義隊が立てこもったため、伽藍のほとんどが兵火によって消失。 現在の根本中堂は、川越喜多院より本地堂を移築しました。 御本尊は、最澄が自刻したと伝えられている薬師瑠璃光如来像(国指定重要文化財)秘仏になってます。 また、幕末に十五代将軍徳川慶喜公が謹慎蟄居なされたのが、こちらの「葵の間」です。 いまでもその部屋はそのままになっているそうです。 その他、寛永寺の御霊廟には六名の将軍(四代家綱公、五代綱吉公、八代吉宗公、十代家治(いえはる)公、十一代家斉(いえなり)公、十三代家定(いえさだ)公)が埋葬されています。 こちら、通常は非公開となっています。(予約により見られるようです) 上野の歴史語る上では、重要な役割の「寛永寺」 徳川が繁栄した江戸の街に想いを馳せながら、ぜひ、お詣りしてみてください♪