こちらは、秩父の中心部にあります「慈眼寺」です。
境内には、”めぐすりの木”というものがあり、
昔から目にご利益のあるお寺として、崇められてきました。
7月8日の縁日には「め」と書いた絵馬が奉納され、
境内では黒ごまの入ったぶっかき飴が売られるそうです。
「め」と書かれた絵馬、かなりシュールでインパクト大!です(笑)
こちらのプランの紹介は…
⇒ https://play-life.jp/plans/25216
前の慈眼寺から600m、
徒歩8分ほどで着くこちら!は、「今宮坊」です。
カメラにも写るほどの雨…
ここに着いた時は、車の外にでられないほどの
”豪雨”になっておりました(;'∀')
長岳山(ちょうがくさん) 今宮坊(いまみやぼう)
本尊:聖観世音菩薩 宗派:臨済宗南禅寺派
御詠歌 ~昔より 立つとも知らぬ今宮に 参る心は 浄土なるらん~
秩父の目抜き通りから坂を下り、
みごとな御神木のある今宮神社を通り越して
すぐのところに観音堂が見えます。
かつては修験道の本山で有名な聖護院の直末寺で、
長岳山正覚院金剛寺といい、
橋立堂(現二十八番)や神戸山長生院(現十八番)は金剛寺の末寺で
修験道の道場でもありました。
観音堂の左奥には、
勢至菩薩を祀る、1間の小さな勢至堂があります。
こちらもちゃんとお参りいたしました。
こちらの今宮坊。
うっかりすると見落としてしまいそうな佇まいで、
観音堂は、屋根に宝珠をのせた以外は飾り気が無く質素な感じ。
かつて繁栄したその姿はそこにはありません。
本尊は本尊は弘法大師作とされる、わずか60cmくらいの聖観音です。
観音堂の前にはの輪廻塔が立っていて、
お経が刻まれた円盤を回すと、
生きている人は安楽に暮らせ、
地獄に落ちた人も天国に生まれ変わることができる…
と、信じられているそうです。
こちらの錦絵には、あの有名な戦国武将が描かれています。
武田信玄の家臣、石原宮内(いしはらくない)は観音への信仰が篤く、
軍事にも優れた人でした。
勝利はしましたが苦戦を強いられた合戦のあと、
「私の備えで勝てたのだ。信玄様の考えは浅はかだ」
と周囲にこぼした宮内の言葉が信玄の耳に入りました。
信玄は「主人を非難するとはなんという不届き者!」と怒り、
死罪を言い渡しました。
宮内は覚悟を決め、翌日の観音の縁日に死ねることを、
せめてもの楽しみにしていました。
するとその夜信玄の夢に10歳ほどの小坊主が現れ言いました。
「私は今宮の者です。どうか宮内をお助けください」
信玄はすぐに使いを出し、宮内を助けたのみならず、
観音の霊験を感じ恩賞を与えたそうです。
やはり、「信じるものは救われる」のですね(笑)
狭い境内ではありますが、
とてもキレイにお手入れされてます。
大きな欅の木の下には、
聖徳太子像がありました。
江戸時代は、今宮坊が観音堂と今宮神社の別当を兼ねておりました。
しかし、明治初年の神仏分離と修験道廃止によっ、
今宮神社と観音堂が分離される事となります。
どこのお寺も、神仏分離令でいろんな思いをしてますね。
納経所は、すぐ隣にある建物です。
どうやら現在、今宮坊は、
町内の方が管理されているらしいです。
坂東の札所もそうですが、
地元の方が守られているお寺があるんですよね。
こうして、巡礼して歩く者にとっては、
ホント、ありがたい事です。