大きな岩盤の上に建つお堂。
「龍石寺」
この地で、ひどい日照りが続き、
人々が餓えと乾きで苦しんでいたとき、
弘法大師が雨乞いをしたところ、
突然大岩が二つに割れ、大きな竜が天に昇り大雨を降らせたという、
逸話が残っているお寺です。
また、境内には「三途婆堂」(さんずばどう)なるものも…
「子育て婆さん」として、
子どもの病気をなおしてくれるといわれています。
こちらの詳しい情報は…
⇒ https://play-life.jp/plans/25862
前の札所からは800m、徒歩だと20分くらいになります。
ですが、わたしたちは、車巡礼なので、
駐車場に車を停めて、観音堂に向かいます。
そんな駐車場の入口付近にあった「道しるべ」
これは現代版ですが、
その昔は石碑がめじるしとなってました。
昔の人たちは、それをたよりに歩いたんでしょうね。
秩父の街では、いたるところに「道しるべ」を見かけます。
さらに、最近では車巡礼が多い事もあり、
大きな案内板も設置されています。
さすが、「巡礼の街」ですね\(^o^)/
法王山(ほうおうざん) 岩之上堂(いわのうえどう)
本尊:聖観世音菩薩 宗派:臨済宗南禅寺派
御詠歌 ~苔むしろ しきてもとまれ岩の上 玉のうてなも 朽ちはつる身を~
秩父橋で荒川を渡り、二十番の標識を見つけるともうすぐに見えてきます。
樹木に囲まれた小道を下ると観音堂の前へ…
かつて巡礼する人は、荒川を渡し船で渡り、
観音堂前の大覗岩の下にあった奥の院から
石段をのぼって観音堂に向かったと言われてます。
堂内には宮殿形のお厨子があって、
観音開きの扉の裏には日天、月天、風神、雷神と共に
観音三十三応身の彫刻がほどこされ、
貴重な文化財として保護されているそうです。
こちらの観音堂は、
秩父の札所の中でもっとも古い建物とされています。
江戸初期に造られたもので、
元禄年間(1688~1703年)に内部の補修を、
宝永年間(1704~1710年)に彫刻の補修をおこなっています。
現在の堂守の内田氏の先祖が、
自らの資金と関東広域からの勧募をもとに
二十五年かけて造りあげたものだと言われています。
こちらの錦絵に書かれている御由緒は、
昔、この地の人が、実家の母の看病で荒川を渡ろうとしたが、
大水で舟がなくて困っていると、小舟が現れて渡してくれた。
それは観音様が子供に姿をかえて、助けてくれたのだという話が書かれています。
こちらのお寺のすぐ側には川が流れており、
さらには、大きな木々に囲まれており、
これぞマイナスイオンたっぷり!というような場所で、
とても気持ち良い空間になってます。
観音堂近くの内田家が納経所で、
そこから荒川の方に石段を降りると”乳水場”があります。
ここの水を飲むと、乳の出がよくなるといわれており、
重湯やおかゆをたいて、
赤ちゃんに食べさせるとよいといわれています。
昔は、粉ミルクもなかったですし…
お乳が出ないのは大問題だったことでしょうね。
まさに、祈る思いですがった事と思います。
そもそも岩之上堂は、
平安末期に白河法皇が聖観音像をここに安置したことが発端で、
大きな堂宇を持っており、当時は願上寺と号したらしい…
その後の時代に、
武田軍侵略によって消失してしまい、
現在、お堂は内田家で管理しております。
内田家のご先祖様の内田武左衛門尉政勝氏が、
自らの資金と一部は武蔵、相模、駿河等の国々から
勧募して造ったのであります。
秩父の札所は、本当に地元の方の力で、
現在の様子を保っているんですね。
恐れ入りますm(__)m
この日、朝から回り始めた札所めぐりも20番まできました。
そろそろ日も傾いてきて…(笑)
あといくつ回れるかな?(^_^;)
秩父の札所は、それぞれが歩いて行けるほど近いので、
2泊3日のコースで回られる方も多いですね。
次回は、ここ21番札所「観音寺」に向かいます♪