こんにちは!
神社仏閣大好き♡御朱印ガールの 高橋のりこ です。
シリーズでお伝えしている、
「秩父三十四観音巡礼の旅」
残すところ、あと2寺になりました。
前回、お詣りさせていただいたのは
「法性寺」
シュウカイドウのお寺としても有名。
また、こちらには奥の院があって、まさに断崖絶壁!
昔の修行の場所としての名残です。
興味があり、行かれる方は、ぜひ、しっかりとしたご準備を!
詳しい情報はこちらのプランからどうぞ!
断崖絶壁にある奥の院!プチ登山を体験できる?!「法性寺」
秩父巡礼も残すところ、あと2寺になりました。
この日は朝から回り始めて、こちらに着いたのが10時半頃。
わたしたちの前に1組、お参りされておりました。
入口には、大好きなムラサキシキブ♡
ちょうど色付き始めてました。
秋らしい景色が広がっておりました。
こちらには、なせか”長福寺”と書かれておりました。
なぜ??
わたし、間違えた??
その謎は、あとでわかりました。
菊水寺の言い伝えによると…
<長福寺と菊水寺>
参道の入り口の寺標には正面には、
「大桜山長福寺」とあり、
その側面には「延命山菊水寺」と彫られています。
かつて小坂下と呼ばれた土地にあった
菊水寺を管理していた別当が長福寺でありました。
永禄十二年(1569年)の信玄焼きによって、
本尊が長福寺に移されたといわれております。
お寺っぽくない、参道(笑)
両脇は桜?かな??
春には桜のトンネルになるのでしょうか…
ここをくぐって、観音堂の方へ向かいます。
お寺っぽい山門もないし…
うっかりすると、民家?のようです(^_^;)
こちら、なんだと思いますか?
コレ…
なんと!手水舎なんですよ!!
とってもオシャレだと思いませんか?
そして、なんと…
真ん中の ”菊” からお水が出ます(^m^)
すごく珍しい形です。
こちらのお寺の案内が書かれております。
延命山(えんめいさん) 菊水寺(きくすいじ)
本尊:聖観世音菩薩 宗派:曹洞宗
御詠歌 ~ 春や夏 冬もさかりの菊水寺 秋のながめに 送る年月 ~
赤平川に沿った田んぼの間の道を行くと、
道端に石標があり、そこから参道がのびております。
参道をすすむと「正大悲閣」の額を掲げた
入母屋造りの本堂が見えてきます。
こちらのお寺の庭に「菊水の井」という名井があったことから、
「菊水寺」という寺名になったと言われています。
実は、こちらのお寺さん、
残念ながら、本堂の中は撮影禁止なので、
中の画像はまったくありません(T_T)
あしからず。
こちらのご本尊の聖観世音は、
一木造り一材ほどの立像で、藤原時代の作と言われています。
別に本尊を模した聖観世音の立像があり、
そちらは、室町時代の作といわれております。
こちらのご本尊ですが、
永禄12年(1569)頃に、武田信玄率いる武田軍が
このあたり(秩父地方)の寺社仏閣に火を放ち焼き払ったのが、
通称「信玄焼き」
その時にも、こちらのご本尊は長福寺に移され、難を逃れたといいます。
そういう力のある観音様なんでしょう。
<子がえしと孝行和讃の大きな絵図>
観音堂の左右の欄間には、
「子がえし」と「孝行和讃」の絵図が掲げられております。
「子がえしのえず」は、
江戸時代の頃盛んであった間引きをいさめたもので、
わが子を圧殺する女の絵が描かれてます。
「それにんげんと生れては、まづ孝行のみちをしれ」
ではじまる「孝行和讃」は、「民間童蒙」の名の通り、
お寺で読み書きを教えたときの、
教科書の役割を果たしたもので、
「親孝行いろは歌留多」ではないかと、ご住職が説明されております。
そして、こちらにも美しい錦絵が掲げられてました♪
”楠 正成”という方の話が書かれてました。
こちらの納経所は、堂内入って右手で受けております。
中には、お守りや仏教にまつわる絵本などもありました。
長々と書いてまいりました、
「秩父三十四観音巡礼」
いよいよ、次回、最後のお寺となりました。
いや~… 長かったねぇ…
それでも、他の西国・坂東、また四国お遍路さんから比べたら、
ずーっと近くて、回りやすい霊場ではあるんですが…(^_^;)
とりあえず、次回で「結願」となりますので。
そちらまでお付き合いくださいませ。