まずは、東国三社について、
少し触れておきましょう!
三つの神社が「東国三社」と併せて呼ばれるのは、
それぞれに祭られるタケミカヅチ、フツヌシ、アメノトリフネの三柱の神が、
アマテラスに天界から派遣されて、
地上を譲るように迫った「国譲り」神話に由来しています。
三社の御祭神の活躍により、
国は平定していったのだとされています。
そのことからも、
関東最強のパワースポットとも呼ばれ、
また、鹿島神宮が「はじまりの地」とされることから、
新年のはじめにお詣りすると、
さらなるご利益がいただけると言われています。
ところで「三社詣り」ですが、
「どこからまわればいいの?」
と思われる方がいらっしゃると思います。
実は、どこからまわってもOKです。
ご自分の都合に合わせてお詣りされると良いでしょう。
ただ、「鹿島立ち」という言葉からも、
鹿島神宮が始まりの地だという事からも、
ここから始めるのが良いとされるかたもいます。
東京方面から来る方は、
「鹿島神宮」→「息栖神社」→「香取神宮」
の順番がいいかもしれませんね。
わたしは千葉県民なので、とりあえず、こちらから…
もうお馴染みでしょうか。
千葉県香取市にある「香取神宮」は、
下総国(千葉県北部)の一宮で
全国約400社ある香取神社の総本社です。
御祭神は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)です。
<又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)>
現在の本殿は、元禄13年(1700年)、
徳川5代将軍徳川綱吉によって造営されたものです。
(昭和52年重文指定)
また、目にもあざやかな朱塗りの楼門も、
本殿と同じ元禄13年(1700年)、本殿と共に建造されました。
今回は、香取神宮の中でも、
特にパワースポットと呼ばれる場所を
ご紹介します。
まずは、ここ「要石」
朱塗りの二の鳥居をくぐった後、左手にあるのが「要石道」
こちらを少し上へと上がって行きます。
そこから先「香取神宮の森」が広がります。
緑のトンネルが広がり、
木漏れ日がキラキラ、心地いいです。
しばらくすると、護国神社があり、
その先にひっそりとあるのが「要石」です。
古くより、この地方は大変地震が多く、人々はとても恐がっていました。
これは、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと…
昔の人はそう思っていたようです(笑)
香取・鹿島両神宮の大神様たちは、
地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。
香取は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられています。
また、貞享元年(1684)水戸光圀公が香取神宮参拝の折、
これを掘らせましたが、根元を見ることが出来なかったといわれています。
ぜひ、ここでただならぬパワーをいただきましょう!
そして、もう1か所。
こちらも忘れずにお詣りしてほしい場所。
「奥宮」です。
こちら、香取神宮の奥宮は、
鹿島神宮と違い、参道にはなく、
少し離れた場所にあるため、
普段、なかなかお詣りする方は少ないです。
ですが、こちらが香取神宮最強のパワスポと言われています。
奥宮は、香取の宮中、旧参道の中程に鎮座。
経津主大神の荒御魂を祀ります。
現在の社殿は、昭和四十八年伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るもの。
どうりで、パワーが宿っているはずです。
本殿だけでなく、
こちらの「要石」「奥宮」も合わせてお詣りくださいね。
たくさんのパワーがいただけるはずです。
東国三社詣りの二社目はこちら!
「息栖神社」(いきすじんじゃ)です。
ひっそりとした神社ですが、
三社詣りしている方が何組もいらっしゃいました。
東国三社のうち、他の二社に比べてより静かで趣がある神社が息栖神社です。
鹿島と香取に祭られる二神が武神であり
その神剣であるのに対して、
息栖神社は、武神の乗り物であった「天鳥舟」という
ひかえめな存在の神が祭られているせいかもしれません。
鹿島と香取の両神宮が、派手で大掛かりな作りなのに対して、
息栖神社は「土地の守り神」として親しみがもてる雰囲気を感じます。
また井戸がご神体とされているという点からも、
より身近に感じることができるでしょう。
「この里は 気吹戸主の 風寒し」
俳聖といわれた松尾芭蕉が、水郷地方を訪れたのは、
貞享4(1687)年8月14日で、
親友・鹿島根元寺の仏頂和尚の招きで、
鹿島の月を眺めるためでした。
この旅で、根元寺・鹿島神宮・潮来長勝寺と水郷地方を訪ねまわった彼は、
息栖地方にも足をのばしたようです。
境内は、他の二社ほど広くはありませんが、
真っ直ぐに伸びた参道に、
それを囲むように木々が立っております。
神社には必ず見かける「力石」
歴史ある神社であることが伺えます。
二本仲良く立っている杉の木。
こちらの御神木で、夫婦杉だそうです。
こちらが御本殿になります。
こじんまりとしたお社ですが、
きちんとお手入れされている感じがいいですね。
手前には、桜!
計算したような、立派な枝ぶりです。
春には桜咲く神社・・・素敵だろうなぁ・・・
息栖神社で隠れたスポットなのが、
常陸利根川沿いの大鳥居(一の鳥居)の両脇に設けられた
二つの四角い井戸です。
それぞれの井戸の中に小さな鳥居が建てられ、
水底を覗くと二つの瓶がうっすらと見えま…す…
というか、見える時がある…という感じです(笑)
(わたしは見えませんでした(-_-;))
この二つの瓶は「男瓶(おがめ)」と「女瓶(めがめ)」と呼ばれ
1000年以上もの間、清水を湧き出し続けてきたとされています。
湧き出る清水は忍潮井(おしおい)と呼ばれ、
伊勢(三重)の明星井(あけぼのい)、
山城(京都)の直井と並び、
日本三霊泉の一つに数えられています。
しかも、この水には御利益があるとされており、
女瓶の水を男性が、男瓶の水を女性が飲むと
二人は結ばれるという言い伝えもあります。
こちらの息栖神社も、
こちらの井戸が一番のパワスポですので。
必ずお詣りしましょう!
三社目はこちら「鹿島神宮」です。
こちらもお馴染みの神社さんでしょう。
おさらいになりますが、
少し御由緒などの説明を…
鹿島神宮は、JR鹿島線、鹿島神宮駅より徒歩約10分の場所にあります。
しかし、鹿島神宮は電車より車でのアクセスの方がいいです。
(電車は1時間に1本ほど…www)
ただ、この時期は、みなさん車での参拝ですので…(^_^;)
多少、駐車場待ちがあるかもしれません。
パワスポあるあるですので。
ご了承くださいませ。
朱色の楼門は、1634(寛永11)年、
水戸藩初代藩主・徳川頼房が奉納したもので、国の重要文化財に指定されています。
徳川家三代将軍・家光が病に倒れた際、
頼房が鹿島神宮に祈願したところ回復し、そのお礼に寄進したといわれています。
こちらがご本殿になります。
現在の社殿は1619(元和5)年、徳川二代将軍・秀忠が寄進したものです。
父親の家康を祀るために、1617(元和3)年に造った日光東照宮。
こちらはその2年後に同じ方法で建造されました。
ご祭神は、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)
日本神話最強の武神であり、勝利の神として崇められています。
長い奥参道の途中には「さざれ石」や「鹿園」もあります。
さざれ石は、君が代にも歌われているもの。
いろいろな神社でみられますよね。
そして、こちら鹿島神宮の神使いである、
日本鹿が飼育されています。
鹿と云えば奈良の春日大社が有名ですが、
鹿島大神を勧請する際、
御分霊を白い鹿の背に乗せて運んだので、
春日大社の鹿のルーツは、まさにここなのです。
因みに鹿の角は英語で「アントラー」で、
鹿島アントラーズのチーム名の由来になっています。
鹿島神宮に来たら、ここだけは外せません!
最大のパワスポ「奥宮」です。
こちらは、以前の本殿であり、
鹿島神宮に祈願ののち、関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康によって、
1605(慶長10)年、御礼として奉納されたものです。
その力は絶大で、荒ぶる魂の象徴的なスポットであり、
勝負へのエネルギーが充満した強力なパワースポットです。
忘れずにお詣りいたしましょう!
さらに、奥宮から右手に曲がった奥にあるのは「要石」
昔は、大ナマズが起こすとされていた地震。
それを押さえつけているのが、この要石だとされてきました。
先ほど、香取神宮の際にもご紹介しましたが、
この要石は、香取神宮の要石とつながっているとされ、
かつて水戸光圀が、この石の大きさを確かめようと七日七晩掘らせましたが、
結局掘り起こすことが出来ず、
事故が頻発したので取りやめたと云われています。
奥宮まで来ましたら、ぜひ、御手洗池まで足をのばしてみてください。
こちらも、パワースポットのひとつです。
古くから禊の場として使われてきました。
子どもが入っても大人が入っても同じ胸の高さに水面がくることから、
七不思議の一つに数えられています。
その澄んだ水の美しさから、インスタ映えすると、
世界の方から絶賛されています。
水温は一年を通して13度ほどで、
一日40万リットルもの清水が湧き出ています。
また、その日、その日で池の色も違うので、
いく度にいろんな顔を見せてくれます。
さて。
いかがでしたでしょうか?
「東国三社詣り」
神話にも出てくる神様が御祭神の三社。
何かを始めようという時にお詣りされるのが良いとされ、
新年にお詣りするのは、さらに良いでしょう。
また、参拝の記念に「東国三社守り」というものもあります。
三社回ると完成する、こちら。
とても人気で、売り切れになることも…
ただ、参拝の記念として、いただくのも良いと思います。
新年にお詣りするなら、
ぜひ「東国三社巡り」をしてみるのはいかが?