前回お詣りさせていただいたのは、こちら!
「観音寺」
こちらは火伏の観音様として、
信仰されています。
またの名を「矢乃堂」とよばれ、
日本武尊東征のとき矢を納め社を建てた場所、
あるいは、平将門が矢を納めた場所、
とする説など諸説があるとされています。
こちらの詳しいプランの紹介はここからどうぞ!
⇒ https://play-life.jp/plans/25988
前の札所からは、真っ直ぐ!
目印は、赤いのぼり。
ですが、ラーメン屋さんや餃子ののぼりには注意!!(笑)
(すっごく似ていて、間違えちゃいましたwww)
札所付近には、必ず赤いのぼりがあるので、
とってもわかりやすいです(^^)v
しかも、こちらのお寺の目印は、
大きなお地蔵さま♡
そこから少し奥に入ります。
こちらの札所は、
なんと!畑の真ん中にあったりして(^_^;)
なんか、のどかだなぁ~って。
ほのぼのしちゃいました(#^.^#)
その畑のど真ん中に、
立派な茅葺屋根の仁王門がお出迎え。
こちらの仁王様、
お顔がとってもユニークなんです。
画像でご紹介できないのが、残念…www
華台山(かたいさん) 童子堂(どうじどう)
本尊:聖観世音菩薩 宗派:真言宗豊山派
御詠歌 ~極楽を ここで見つけて童う堂 後の世までも たのもしきかな~
仁王門の手前には、いつもの、六地蔵さん♪
そして、案内役の小坊主さんも♪
他にも「とげぬき地蔵」さん、
「身代わり地蔵」さんもいらっしゃいました。
それぞれのご加護をいただきましょう。
こちらが観音堂になります。
観音堂は、江戸中期の華麗な建築で、
正面の唐戸には風神雷神、
迦陵頻伽の浮彫りを見ることが出来ます。
こちらの童子堂の由来は…
「一説によれば、お堂は旧蒔田村・清水谷の山奥に草創されたが、
昔、子どもたちの間に疱疽(天然痘)が流行したおり、
観音をまつって祈念し、
岩間より生ずる清水をつけてたところ病がたちどころに消え失せた。
延喜年間(901~922年)に府坂の地に移され、
以来子どもを病魔から救う観音として童子堂と呼ばれるようになった。
なお、今のお堂は元禄十五年(1702年)に府坂の地に再建され、
明治43年(1910年)に現在地に移されたものである。」
と、あります。
いつの時代も、
神社仏閣は、人々の側に寄り添っていたんですね。
こちらの縁起が書かれている、錦絵もありました。
人にやさしくできないと、
自分にも跳ね返ってくるんですね。
また、こちらの史跡を読んでいると、
”永福寺” という名がでてきます。
明治43年(1910年)に現在地に移された時には、
童子堂は栄福寺(現在の永福寺)持となっていたそうです。
現在は童子堂の隣の建物を永福寺と称しております。
童子堂の入り口の地蔵尊から県道を隔てた反対側に
栄福寺があったといわれておりますが、
現在は「虚空蔵菩薩」の碑が残るのみとなってます。
”ひとりさん” と ”大山のぶ代さん” \(◎o◎)/!
すごいツーショット見ちゃいましたwww
ひとりさんの神社仏閣巡りは知っていましたが、
まさか!ドラえもんまで巡礼していたなんて… ねっ♡
ちなみに、
ひとりさんとは「齋藤一人」さんの事。
二本全国にファンがいらっしゃる、
長者番付の常連さんです。
こういうのを見つけるのも、
ちょっと楽しいですね♪
※現在は、千社札お断りのお寺が多いので、
その点は、十分にご注意ください!