伊豆大島に行くならプロペラ機で!

新島、大島、神津島、三宅島と結ばれ現在は1日に26便運航しています。
伊豆大島までは約25分!離島の貴重な交通手段となっています。
空港の規模は小さく、現在の滑走路は長さ800メートルのものが1本だけ。
そのため利用できるのはこのような小型機に限られています。

座席は両窓際に1席といった感じで正直狭いです笑
でもひとりひとりが窓際の席を確保することができるので、窓からの景色を乗客全員が楽しむことができるつくりになっています!

普通のジャンボジェットなどの飛行機と比べて飛行高度が低いのでより近い距離で東京・神奈川の街を見渡すことができます!1枚目の写真は江ノ島!

「新中央空港」
【HP】https://www.central-air.co.jp/

伊豆大島に来たら寄りたいグルメスポット2選!

大島名物の絶品べっこうを思う存分に味わえる"紀洋丸"!

居酒屋の雰囲気が混ざった食事処のような感じ。家族連れでも行きやすい雰囲気です。
メニューは豊富な海の幸を中心に丼物、定食が並びます。
一品料理も伊豆大島ならではのものばかりです。
有名人のサインも店内にたくさん飾られています!

大島名物のべっこう丼。
白身魚を島のトウガラシと醤油でつけた「べっこう」をどんぶりにしたもの。
ピリッとトウガラシが効いていて大島ならではの味でご飯に良く合います。
魚介のすり身を揚げたさつまあげのようなたたきあげ。
これがふわふわで魚介の旨味たっぷりでジューシーなんです!

「紀洋丸」
【住所】東京都大島町元町馬の背
【アクセス】元町港より車で5分
【営業時間】11:30~13:30 17:00~20:30

昭和レトロな雰囲気に包まれながら絶品たい焼きを食す!

レトロな雰囲気の建物や路地、これぞ離島というゆったりとした空気が味わえ、とっても魅力的な街「波浮」。そんな街並みにひっそりとたたずむ、「島京梵天(とうきょうぼんてん)」。

店内は古民家風な造り。ここでたい焼きやたこ焼きなどを食べられます。
町の駄菓子屋さんのような一面も感じさせられます。

羽が大きく、パリパリ香ばしいたい焼き。
たこ焼きは大島名物の島のりを使った島のりタコを注文。
島のりタコは明石焼風で、おだしをかけていただきます。

島京梵天
場所:東京都大島町波浮港6
アクセス:元町港から車・バスで約35分
営業時間:11:00〜18:00 日曜営業

伊豆大島の歴史を感じることができるスポット2選!

大東亜戦争の遺跡が残る、龍王崎灯台鉄砲場

この龍王崎周辺は大東亜戦争時、日本陸軍の監視所として、多くの兵士と小学校高等科を卒業して兵役年令(二十才)に満たない十五~十九才の青年達が生活し監視の教育を受け、共にその任務に従事していた場所です。

本土襲来のB21爆撃機の一番機はこの監視所から島田少年によって発見されたと伝えられています。
兵舎は三棟あり、周囲に防空壕、弾薬庫、食糧庫、貯水槽が併設され、海に向った斜面には攻撃用塹壕、蛸壺壕が無数に掘られていました。

そんな悲しい戦争の歴史が残るここ龍王崎ですが、太平洋を見渡すことができ、見事なオーシャンブルー。悲しい歴史とこのきれいな景色のコントラストがなんとも言えない気持ちになりますね。

旧甚の丸邸で明治時代にタイムスリップ!?

波浮港には現在も古い木造家屋の町並みがわずかに残り、港東側の界隈を「踊り子の里」と呼ばれています。石蔵は大谷石でつくられていて、なまこ壁が続く町並みはどこかなつかしさを感じさせてくれます。

明治時代の網元の屋敷跡・旧甚の丸邸は石造りの2階建。外壁はなまこ壁の漆喰装飾が施され、島外から取り寄せた極太の木材で組んだ梁や柱、大谷石の外塀など、豪勢な暮らしぶりを垣間見ることができます。

蔵も当時のまま残されています。富豪の家なので、当時としてはかなり豪華な家のつくりだそうですよ。たしかに敷地も広いです。

伊豆大島の大自然が創り出した珍景2選!

巨大バウムクーヘンが伊豆大島に!?

伊豆諸島北部に位置する伊豆諸島最大の島、伊豆大島。
大島は伊豆大島火山と呼ばれる水深300〜400mほどの海底からそびえる活火山の陸上部分を指し、数多くの噴火の記録が残っています。

大島では“バウムクーヘン”と呼ばれるこの地層は、1953年道路建設工事中に偶然発見されたもので、長さ630m、標高70m前後の都道沿いに高さ24m程に渡って続いております。路面壁の一部分はおおよそ15000~20000年以前と言われています。

洋上に利島、新島、式根島、神津島、天気に恵まれると三宅島、御蔵島まで見られます。
写真左端にうっすらとうつっているのが三宅島です。

神が宿る場所と言い伝えられる、筆島

大島火山よりも古い時代には3つの火山があり、筆島火山は最も古く、240万年から数十万年前に活動していたと考えられているそう。荒波に耐える「筆島」の姿は、昔から“神の宿る場所”として崇められてきたそうです。

現在の筆島のあるところが、「オタイの浦 (オタイネの浜とも呼ばれる)」と呼ばれています。オタア・ジュリアは信心のために、数奇な悲劇の余生をここで過ごしました。